■ 極真を支えた男達(東 孝×三浦 美幸×佐藤 勝昭)インタビュー その22006.2.27

ケンカ空手極真

―極真空手時代のケンカの話などはありますか?

佐藤 三浦さんと東はいなかった時の話だけど、忘年会を終わって外に出たらケンカをやっていてね。そうしたら岸(信行)さんが「おっ、ケンカやってるな。ちょっと見てくる」と言って見に行ったんだ。「どうしたんですか?」なんて言っているうちに、何故か「テメエ!事務所に来い!」ってなってね。
岸さんは「え?事務所ですか」なんてしらばっくれていたんだが、そのうち盧山先輩が間に入って「私達は空手をやっていて…」と言って収めようとしたんだけれど、相手が「なにぃ、空手?この野郎~!」って怒り出して手を出そうとしたので先輩がバチーン!て正拳で突いて乱闘が始まったんだ。岸さんはガードレールの下に逃げ込んだ相手を引きずり出して殴りだしたりしてね。最後は逃げ出した一番デカイ奴を大石(代悟)が追いかけて行ってバコーンと一発で殴り倒してた(笑)

―三浦先生にもそのようなお話が…。

佐藤 三浦さんは、そりゃもう凄いよ(笑)
三浦 池袋で稽古が終わった後は飲んで帰るんだけれど、いつも大石がケンカを始めるんですよ。3回くらい大石の巻き添えを食っていますからね(笑)
大石と須藤と3人で居酒屋で飲んでいた時に応援団が「フレー、フレー」なんて大声出しているんですが、大石はいつも獲物を探しているから(笑)「うるせぇな!」とケンカを売るんですよ。それで応援団の4人組と店の真ん中でケンカになって、一人が一発でひっくり返って残りの一人は須藤が相手を、あとの二人は私に向かって来たので一人を頭突きで倒したら、もう一人は逃げ出したんです。そうしたらあの時、膝を怪我していて稽古していなかった大石が全力で走って追いかけて行きましたからね(笑)

―その当時はケンカの理由には事欠かなかったんですか?

三浦 芦原先輩のように「ケンカをやりましょう」とかはなかったけれど、東もそうだけど後輩が何かされたり、やらなければならない状況だったらやるでしょう。まあ東の場合は人が始めたケンカでも自分が主役になっちゃうみたいだけど(笑)
東 自分は池袋ではやった事はないですよ。先輩達の話を聞いて、いいな~とは思っていましたけど(笑) 自分は早稲田の同好会が中心だったから、本部の三浦先輩とは接点がなくて一緒にケンカした事はなかったですね。
三浦 佐藤さんとは帯研が一緒だったし、早慶戦でケンカした時も一緒だったんですよ。一生懸命、ケンカを止めていた佐藤さんが、応援団の団長みたいなのを「すいません。みなさん酔っ払っていますから」と止めていたんだけど「このヤロー!」と相手が言った瞬間に飛びヒザ(笑) 相手は泡を吹いて倒れてたね。
佐藤 同期の須藤っていうのがいたんだけど、あいつが顔面叩いたら相手が死んじゃうと思ったんです。だから必死になって止めていたんだけど相手は図に乗っちゃって。

―それで飛びヒザですか(笑)

佐藤 私がやらなかったら須藤が相手を殴るでしょ。その方が危険だと思ったから。

―佐藤先生は温厚な印象があるんですけれど、ケンカの時は人格が変わるんですか?

三浦 相手をノバす時も普段と変わらないよ(笑) 冷静で「この野郎!」なんて言わない。ケンカを止めて相手をノバして「じゃ、帰りましょう」だから(笑)
東 佐藤先輩は「ぶっ殺してやる!」とかじゃなくて試合と同じで「じゃ、やりましょう」と真面目にやるわけ(笑) 自分はガラが悪いから「この野郎ー!」となるけど。
佐藤 三浦さん、あの話をしないと(笑)三浦さんが池袋でケンカして留置所に泊められたんだけど、大山(泰彦)師範が「三浦、岸。舐められんなよ。半殺しにしたって良いんだからな」と言って。三人はそれぞれ別の房に入れられていたんだけれど、三浦さんは房の親分になっちゃった(笑)
三浦 岸さんは東北人だから大人しくて最初は舐められて「この野郎!」とか言われたらしいけど、そいつを隅に連れて行って「お前、俺が大人しくしてるからって、いい加減にしろよ!」と言ったら、「岸先輩」と言われるようになってね(笑)
その我々が大山師範に「押忍!」って挨拶しているから、あの人はもっと凄いんじゃないかという事になって房の中で「大山キャプテン」と呼ばれてた(笑) あれはいい経験になりましたよ。結局、12日間いましたから。でもあれはケンカしたんじゃないんですよ、絡まれたからあしらっただけで。

―三浦先生が同じ極真門下で尊敬している人は誰ですか?

三浦 私の大学時代はクラブのキャプテンでもあった添野(義二)先輩と本部で教えてもらっていた山崎先輩ですね。あの時、山崎先輩はヒーローでしたから。アメリカに来てからは大山茂最高師範ですね。

―あの当時、道場破りとかはいたんですか?

佐藤 道場破りではないけれど、梶原一騎先生がプロレスに対して過激な事を書いてね。プロレスから3、4人が全日本大会に出ると言って道場に来た事があったよ。岸さんが「デカイ奴らが来たな~」と(笑)   
結局、大会には出なかったんだ。私は極真会のルールだったら戦ってもよかったんだけど。
東 当時はプロレスに対する幻想が凄かった時代ですよね。ただ極真があれこれ言われるんだったら、絶対こいつ等なんとかしてやるという覚悟はありましたね。関節蹴りはそのために考えたんですから。

―世間的にも当時の極真はケンカ空手というイメージでしたか?

三浦 私が大学生だった頃、全日本の学生選手権に出るために抽選会に行くと、ジャージに入っている極真の名前を見るみんなの視線が、もう凄いからね(笑)
関東学生選手権に初めて城西が出た時の相手が優勝常連校だったんですが、相手は「城西って聞いた事ないな~」って言っていたらしいですね。私は副将で出ていたんですけど、試合相手が「さあ来い」なんて構えもしないから、「この野郎!」って思ってね。トーンと入ったら中段突きが入って、相手は尻餅ついてしまった。審判に「当て過ぎ。注意一」って言われて、「あれ? おかしいな」と。それで先輩に「2回戦に行けないからちゃんとやれ」と言われて、遠慮してしまって引き分けだった。
結局、一人が技ありで負けただけで、あとは全員引き分けでした。だから城西ってどうなんだと驚かれましたね「ポイントは取られないけれど、こっちも何もできない」と。

―三浦先生は高校の時、松濤館空手の経験があって大学で添野先生から極真を習ったわけですが、やはり違いますか?

三浦 初めは滅茶苦茶ですよ。こっちが「ヤァー!」ってやっているのに向こうは引っ叩いてくるからね(笑)あの頃は空手に流派があるなんて知らず、空手は柔道のように一つだと思って同じようにやっていたんだ。
でも、なんか違うなと思っていたら、顔面を叩けると聞いて「これはヤバイな」と。半年くらいは慣れなかったですね。
佐藤 僕らの時は極真会の初段は他流派の五段の実力だ、凄いんだと聞かされていたけど、ケンカ空手というのは「空手バカ一代」の影響で言われるようになったんでしょう。


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